北へ・・・7
この日も早朝出発。私が張良廟(漢中市内から2時間半、往復5時間)へ行きたいと駄々をこねたからなんだが(笑)
しかしこの日からいちぢるしく体調を崩す。下痢はとっくにだったんだが(笑)セキが出る、頭が痛い、吐き気がする・・・
月:「かんさん・・・弱っているところを襲うのはやおいの常道だよ!」
俺:「はっはっはー・・・どーゆー意味やねん!」
今日も絶好調。
まずは劉邦が宮殿を構えたと言う古漢台(漢中市博物館)へ。城壁は当時のものとガイドさんは言い張っていたが、これが秦代万里の長城と同時代の城壁とは思えない・・・(笑)ここで有名なのは蜀の桟道付近に掘られていた漢代の石碑。ダムで沈む前にごっそり持ってきたんだとか。ここの隷書は最高級で、しかも中には曹操の字とか、張良の字とか、著名人のものも(ただ「張良の字」は書体から偽物の可能性が高いらしい・・・そう言われなければ、高い金払ってでも拓本を買ったのに/笑)
あと、劉邦が馬に乗るとき足場にした台というのがあるのだが、これが一部欠けている。なんでも劉邦はいつもこの台を足場にしていたのだが、ある日馬に乗り損ねて落馬したところ、怒り狂って剣で台を斬ったんだとか。
ああ・・・すごく愛しいよこの馬鹿!(笑)
さて次の場所へ・・・と思ったら警官だか軍人だか紙一重のにいさんに車を止められる。また検閲かな?と思ったら・・・スピード違反だった(制限時速60キロのところを100キロで走っていたらしい・・・そりゃ捕まるわ)
仕方がないので旅行会社から代わりの運転手さんを派遣してもらい、もともとの運転手さんはその場において再度出発(酷)
気を取り直して定軍山ふもとの諸葛亮墓へ。遺言によってさほど豪華な墓にはしなかったらしい。大きめなことは大きめであるが、たしかに衛青なんかの墓に比べると普通クラスの大きさなのかなあ・・・諸葛丞相が安らか(多分)にお休みになっているお膝元で、今までの所業を詫びる私と月妹(笑)
・・・ごめんなさい、本当に。またやります。
うっかり歴史に名前を残すと恐ろしいことになるにゃー☆
さて、墓の近くで昼ごはんを食べた後、ちょっと車で走ったところから突然農村に入る。なんとなく古めかしい家と畑とアヒルのかごの間を縫って歩く3人。なんでもこの先に劉備が漢王に即位した台があるらしい。
「普通は国や省がお金を出してこういった文物は保護するんですけどね、ここは省からお金が出ていないのに地元の人たちが自発的に管理しているんですよ」
へえ・・・ちょっといい話。
「まあ、碑があるだけなんですけどね・・・あれ?閉まってる・・・」
おいおいおい!
なんでも、管理しているおじさんが昼ごはんを食べに家に帰っちゃったとのこと(笑)しかたがないのでまどのちょっとしたスキマから碑を垣間見る。遠い。字が見えない・・・
おもいっきり肩透かしをくらった3人は、また農村の間をてくてくと歩いて車まで戻ったのでした。
さて、いよいよ今回の旅最大の目的ともいえる張良廟ですよ!張良廟だけ山の上にあるので、えんえん車。途中でスピード違反で捕まった運転手さんが戻ってきてドライバー交代。どうやって戻ってきた?
下痢と頭痛とはしゃぎすぎ(笑)で死にかけのかん、もう寝て自分をごまかす。ところがフッ・・・と目が覚めると、おお!「張良廟まであと2キロ」の看板が!本能で目が覚めた!!(ある意味病気)
「張良廟だー!」と大喜びの私に、「今まで寝てた人のテンションじゃないよ!」とビビる月妹(笑)ちなみに月妹曰く、私が寝ている間にガイドさんはカンペを確認していたらしい。マニアな客でごめん(笑)
張良廟は・・・張良を祀っているというよりは普通の道観でした。入っていきなり目に入るのは財産の神様。また現地ガイドさんやその他のスタッフ(?)はみんな黒の道帽に人民服という中途はんぱっぷり。しかもこの廟、ほんとは張良の隠遁場所じゃないんだって。ほんとは山頂(体が弱いくせになんでそんな場所に・・・)にあったんだけど、明代の人があまりにも登るのがたいへんだからとちょっと下の位置に移したんだって。むう・・・が、往復5時間の価値はありましたよ~!金箔貼られたヒゲ張良の像とか、すっげえ絶妙な張良の絵とか(笑)ご本尊はやっぱり道教の神様っぽかったけど、他の絵や像は概ね公子然としていてすてきです。あ、余談だけど張良は世に出たころ既に四十路です(笑)
そして張良廟ではしゃぎすぎたのか、帰りの車で撃沈。撃沈しつつもなぜか寝付けず、ぐだぐだしてると「蕭何が韓信を追った道」という看板を見つけ、はしゃぎすぎて白い目で見られる。くそう、知ってる人が車の中に一人もいない・・・(笑)
そのまま漢中市内へもどり、ゴハンを食べた後スーパーにてお買い物。なぜなら今晩は寝台車にのるのだ!寝台車といえば飲み物とお菓子は欠かせまい(そうか?)
そこで怪しい中国菓子と、きのこの山に酷似しているがきのこの山ではない菓子、お茶などを買ってお会計。二人とも普通のお茶を買ったのだが、あ、甘・・・!!花茶は渋めのお茶なのに!!折からの吐き気にとどめを刺すような甘さに悶絶するかん。そうだった、中国のペットボトル飲料はウーロン茶でさえ病的な甘さなのであった・・・
そんなこんなで列車に乗り込む。中国の列車は乗ったときにチケットを渡してなんかカードをもらい、降りるときにまたカードとチケットを交換し、最終的にチケットを回収される。わけがわからない。
さて、我らが乗った寝台車は4人一部屋なのだが、合部屋(?)になったのがなんとフランス人と中国人の女性二人組。向こう二人はけっこう積極的に話しかけてくるのだが、俺は英語も中国語も微妙なため聞かれたことに答えるだけでせいいっぱい、俺より英語ができる(多分)月妹は22時ごろだというにすでに半分夢の中で、話がはずまないったらありゃしない(笑)
結局「連れの方、お疲れのようね(英語)」と仰って二人は電気をけしてくれた。ごめん・・・
そして孔明北伐の途を列車にて北上した・・・はずなのであるが、疲労で爆睡していたのでさっぱり感慨もないのであった。明日に続く!