図はレアだど~(笑)!月妹が描いた本命!
わー、これかなりカッコイイよ!性格悪そう!(笑)ちなみに私はしばちゅうを描かされる。
俺:「えー、別にええけど、ウチのしばちゅうジイさんやで」
月:「・・・かっこよく描いてもいいよ!」
俺:「いや、ジイさんだから(笑)」
月:「・・・しょうがないなあ、じゃあかっこいいジイさんでもいいよ!」
いい加減認めなさい、司馬諸はマイナーだって(笑)
さて・・・この日も早朝出発。まずは翠雲廊へ。なんだか森林ハイキングコースという感じ。しかしここには「張飛が植えた木」というのがあるのだ。しかしなぜ木を植えたのかは教えてもらえなかった。花刺繍のときついでに「自然を愛する心も養いなさい!」とか言われたんだろうか。
そのまま田舎道を車で北上する。田舎道なのに途中検閲のおっさんに止められる。ここをどんな不審人物が通るというのか。
ところでこのあたりでトイレが我慢できなくなり、農家のトイレを借りる。「汚いかもしれませんよ」とガイドさんに釘をさされたが、特に汚いとは思わなかった。ただ・・・デンジャラスだった・・・(1.5M×3Mくらいの大きな肥溜めの上に足場の板が張ってあるという代物。板が割れたら文字通りの奈落だ・・・)
気を取り直してさらにデコボコ道を北上すると、剣門閣へ。昔の剣門閣の砦を復元してあってなかなか風情があるのだが、残念ながら1年前の火事で修復中。しかしこんな緑もほとんどなさそうなところでそうやって火事がおこったのやら。
近くには姜維の墓がある。アノ最期を考えると「ほんとに墓が残ってるのか?」と疑問に感じるのであるが、残っていた。
ただし、崩れかけ(見ようによっては傾いている)よくこれが墓ってわかったなあ・・・
と、奥にもうひとつ大きな墓がある。でっかい碑には「漢大将軍云々」。漢の将軍がこんなところに?誰だろう、けっこう立派だけれど、と思うとこれがまた姜維の墓なのだ(笑)
俺:「え、こっちも姜維の墓?」
ガイドさん:「ああ、そっちは観光客向けの偽物なんですよ」
ま、まぎらわしい!!
月:「しかも観光客こないんだね・・・」
ツッコミひどいよ、月妹・・・(笑)
最期まで切ないオチがつく姜維。
あ、ちなみに剣閣の名物は豆腐らしいです(私信)
次に古霞萌関(現昭化古城)へ。張飛と馬超が3日戦った古戦場であるが、現在はのどかな田舎町だ。小学校から休憩時間なのか、体育の授業なのか、中国凧を持ったこどもたちがわらわらと出てくる。ガイドさんが子供に「凧貸して」というが、当然断られる。そして・・・田舎の石畳で治りかけていた右足を再度ヒネる(笑)
広元についたあたりでガイドさんと運転手さんがバトンタッチ。まずは皇澤寺へ。なんか則天武后ゆかりの寺らしい(よく知らない)。この皇澤寺の奥と千仏崖にはたくさんの仏像がある・・・のだが、仏教関係には興味がないのでなんともいえなかった・・・
その後蜀の桟道が復元されている明月峡へ。このあたりには明月峡と清風峡があり、なんでそんな名前がついたかというと孔明の死後、孔明の書童であった明月と清風がこのへんで身を投げて死んだからだそうだ。
俺:「しかしその名前はできすぎでは・・・」
月:「突っ込み冷静すぎ、かんさん!」
俺:「なんだと!○○(月妹の本名)峡をつくれ!(ぐいぐい)」
月:「△△(かんの本名)峡でもいいよ~!(ぐいぐい)」
そして笑って止めないガイドさん(笑)
ちなみに噂の桟道は・・・当時どのくらいの幅であったかはわからないが、現在は2Mくらいの道幅。なるほど、牛や馬では落ちるだろう・・・
そしてさらに車を走らせること2時間ばかし(月妹はやっぱり爆睡)。日も暮れて月が明るくなったころ、ようやく漢中市内へ到着。閉店後の料理屋で晩御飯を食べてから、ホテルへ向かうのであった。
・・・しかし・・・成都から漢中までの距離を体験して思ったこと。
天華4巻ラスト辺りで傷心の孔明が単騎漢中まで走るのは、やっぱりありえない。
・・・歴史小説を書くとき地理を考慮するのは大切ですね☆