赤裸々日記

日記
夜勤前で寝てました。











私信>妹たちへ!
死ぬときは同年同日・・・だと・・・!?













***本日の小劇場~奇跡の人~

 趙雲は、奇跡という言葉があまり好きではない。
 たとえば己のことで言うならば、長坂に於いての活躍を、人は「奇跡的」だの「超人的」だのと言う。
 確かに歳ふるごとに、あの時はよくぞ生きて戻れたものだと感慨深く感じるのだが、結局のところは日々の鍛錬の賜物が大きい。さらに言うなれば、懐に抱いた主君の御子を、たとえ両腕を失ってでも無事送り届けねばならぬ、という覚悟と使命感が、己をあそこまで動かしたのだと思う。一人ならば、やはり精根尽きて斃れていたであろう。
 すべき努力もせず、確固たる意思も持たず、ただ人の偉業を「奇跡」の一言で片付ける――そんな人々を象徴する言葉が、「奇跡」という言葉のような気がするのだ。
 そんな趙雲でも――今、腕の中に抱いている人のことを、奇跡としか言いようがないように感ずることがある。
 若いころから臥龍と称され、曹操軍の追撃を退けた初陣から始まり、赤壁の大勝、南蛮での連勝――
 だが趙雲は、この快進撃は決して奇跡などという偶然の産物ではないことも知っていた。
 日々の政務から戦まで、その総てについて考え、思い悩み、率先して実行してきた。
 たとえば赤壁のときであれば、危険をおして単身江東へ赴き、敵味方の状況と天候を細やかに調べ、最善の策を選択した。
 小さな失敗や挫折も決して少なくはない。その度に深く反省し――時に傷付いた。
 奇跡などではない。総ては彼の努力と労苦の賜物である。
 趙雲は、その人の頬を軽く愛撫した。
 触れても身じろぎひとつしない。疲弊しきっている。心身ともに。
 ――このお方を奇跡の人と崇め従うのは、きっと簡単なのだろう――
 それでも――
 趙雲は、彼と並び立って生きることを選んだ。
 同じ人として、苦しむ道を。
「きっと――きっと北伐は成りましょうぞ、丞相――」

***

ヘレン・ケラーを「奇跡の人」と呼ぶのに、子供のころから違和感がありました。
・・・という話のはずだったんですが、なんだか結局不穏な話になっちゃいましたね。

まあ、D-LOOP「Destination」の、「あなたを奇跡と呼べるのなら」な趙孔も当然大好物だけどね!