赤裸々日記

日記
夜勤明け。ずっと待ってた『この世界の片隅に』の映画を見に行ってきました!
もうね、映画の制作状況を聞いては「まだ時代考証してるのかよぉぉ!」とやきもきしてたもんですが、まあなんだ、待っててよかった・・・

以下、ネタバレと映画への不満をちょっぴり含む感想です。































この作品のどこがすばらしいって、死がクライマックスではないところなんですよね。
例えば哲なんかはいかにも死にそうなポジションにいて、実際実写ドラマでは死んだらしい(評判を聞いたので見なかったw)のですが、そうではなくて「生きとってくれてありがとう」となる。
かといって「生き抜いてやる!」と気負っているわけでもなく、それなのに見た後は今自分や周りの人が生きているという事実が、とても愛おしくなって涙が出る。
ただ一言で「戦争モノ」と言い切れない深さが、この作品にはある。
ずいぶんと待ちましたけど(笑)ていねいにていねいにアニメ化してくださってうれしかったなぁ。
声優陣にも恵まれてたなぁ。哲はちょっとイケボすぎる感じがしたけどw

こうのさんの漫画は、故赤塚氏ほどではないんですが結構実験的というか、斬新な技法を使うことがあります。
『この世界の片隅に』でも無言劇にしてみたり、ペンと筆を持ちかえたりとおもしろい技法を駆使しておられるのですが、その最たるシカケは「右手を失った」あとの歪んだ背景。
絵を描くことが好きなすずさんが右手(利き手)を失い、背景は左手で描いたかのように歪む。すずさんが「右手はどこでどうしとるんじゃろう」とボンヤリ考えている間に、すずさんの右手は花畑の真ん中で笑っている晴美さんを描いている。あるいは鬼ィチャンが南の島で逞しく(?)生き延びている漫画を描いている。あるいはリンさんからもらった紅で、リンさんの半生を描いている。
つまり、死んだ人たちが生きている姿を描いている。
でも最後にすずさんと周作さんが、この世界の片隅で「生きていてくれた命」を見つけた瞬間、すずさんの右手が「しあはせの手紙」とともに世界に絵筆で色彩を載せて、この漫画は終わる(あくまで『この世界の片隅に』という漫画が終わるのであって、すずさんたちの人生はまだまだ続く)

この漫画ならではの表現を、アニメ映画で一体どうするつもりなんだろうと思っていましたが、なるほど、あんな感じできましたか・・・
アニメで背景が歪んでたら多分画面酔いするよなーと思っていたので、あれでいいと思います。
それよりね。不満なのはね・・・

リンさんの 扱い !

単純に尺の都合なのか、監督がすずさんを大人になりきれないままお嫁に来た女性と解釈していたから、この複雑な背景はさばききれないだろうと思ったのか、周作との関係がまるっと削除されていた!
え・・・ええぇー・・・あいすくりいむの下りもカットされてるし、この程度のふれあいでは友人とすら言えないでしょう・・・ここまでカットするなら、いっそリンさんの存在自体をカットしてしまえばよかったのに・・・原作読んでない人にはリンさんどう映ったんや・・・ノートの切れ端とかチラっと映ったけど、あれだけで周作との関係を悟ることができる人がいたらすごすぎるわ!(笑)

友人になったリンさんが、かつて周作さんと関係を持っていたらしいことを知る。しかも小林の叔母さんによると、ただの遊女とご贔屓さんの関係ではなかったようだ。お互い気付いていることに気付かない振りをしつつリンさんと友情をはぐくむけれど、リンさんの存在はすずさんが居場所(立場)を盤石なものとは思えない要素の一つになっていたはず。
でも周作さんはリンさんのことがありつつ世界の片隅ですずさんを見つけ、すずさんには哲や怪我や、晴美さんのことやらがありつつ呉を自分の居場所と定める。そういう物語じゃないのか、これは・・・

もし尺か納期の関係でリンさん関係がカットされたんだったとしたら、ディレクターズカットの完全版の円盤出ないかなぁ・・・