赤裸々日記

わかりにくい「会盟」講座
突然ですが、そもそも「盟主」というものについて。
この言葉が出てくるのはまあ、ちょっと昔(3000年前)の周代中国ですね。
もともとは各国(今の都道府県のようなイメージ)の諸侯が周王朝にそれぞれどれだけ朝貢するかなどを決める「盟」において司会進行を務めるのが「盟主」でありました。
わかりやすくいえば、「今年の遠足どこ行きたいですかー?」とか決める学級委員みたいなもの。
そんでもって最後にいけにえの牛の耳を切って血を絞り、それをすすりあって「じゃあ今日決めたとおりにね」と誓い合うわけです。これは「牛耳を執る」「牛耳る」といった言葉の元なので、まあご存知の方も多いでしょう。ちなみに「盟」と言う字の「皿」の部分は、もともとは「血」だったらしいですよ。ものごとを明らかにし、いけにえの血をすすって誓う、ということなんでしょうね。多分。(かんは文字学には詳しくないよ)
ところが時代下って周幽王が美女の微笑みに国を傾け、周王朝が実質的な権力と権威を失うと、がぜん盟主の権限はとてつもないものになりました。これは国連の常任理事国を一国の王がまかされるようなものです。たとえば
「A国はこのあいだB国と戦争して領土を取ったな、ゲームバランス悪くなるから返してあげなさい」
みたいなことを平気で言えるわけです。こうして権限の増えた盟主は「覇者」と呼ばれるようになりました。かの有名な「春秋五覇(斉桓公・晋文公など)」というやつです。
なお、こうして考えると後の項羽がみずから「覇王」と名乗ったことがいかに時代錯誤であったかがわかるかと思われます。たしかに字面はカッコイイけど、「覇」はあくまで諸侯のまとめ役。王や皇帝のように、絶対的な権力を持つ万乗の君ではないのです。

まあ要するニダ。
「盟主」という言葉には何かあったときには調停する世紀末リーダーの意味と、誰よりも力を持ち、他者に多大なる影響力をもたらす世紀末覇者の意味があるわけです(違)。
・・・なんだかよくわからなくなってまいりましたが、

盟主は盟主でイイと思います。


あ、ちなみに今更お海老企画の件を見ました。悔しいなあ、あと二日前に見てたら絶対に無理難題押し付けたのに(笑)



なんか今日一日、ヤバい下し方してます。食中毒・・・だったらもっと酷いよな・・・明日治らなかったら病院行こうかな・・・
とりあえず今日はえびあんを枕もとに置いて寝よう。